ブーケンセントルム版『著作集』総目次

ブーケンセントルム版『著作集』総目次

第一巻(2007年) 神学の本質(プロレゴーメナ)

第一部 普遍性と学問

真理は未だ已まず
相対的なことを真剣に
一つの見解は時代遅れになりうるか
理性の評価
現代の学者
公共の大学
神学の光における人間と学問の関係

第二部 学問としての神学

信仰と学問
哲学と神学
神の言葉と現実
神学は教会の一機能であるか
聖書学との比較における教義学の方法と可能性
教義学的であることと批判的であることは対立するか
三位一体論的な神学の必要性
教義の発展
信仰は理性の後にも来る
教会の諸信条と科学的概念
神学における人間性
福音とイデオロギー
組織神学におけるキリスト中心性と学問性

第三部 神学研究

それでは神学とは何なのか
国立大学神学部の背景と諸問題
二重基準(duplex ordo)
大学における教会の形
ユトレヒト大学神学部
我々は神学部として本来何を行うのか
在職二十年を迎えての雑感
神学教育における教会専門課程
神学者とその研究(1931年)
神学者とその研究(1939年)
職務への召し
信仰的確信と神学研究
あなたの未来をよく考えること
説教者教育
実り豊かな神学を学ぶ
神学生よ、説教に行け!

第四部 神学 1930年~1970年

1930年以来のオランダ文化における神学
十五年後の新たな問い

第二巻(2008年) 啓示と聖書

第一部 啓示と認識

神学的認識論における三位一体論的思惟
神学原理(principium theologiae)としての聖書
自然と恩恵
接合点
神学的認識の限定性
自然神学と啓示神学
自然神学の問題のもう一つの側面

第二部 聖書

聖書の権威と信仰の確かさ
信仰の土台としての聖書
啓示-聖書-伝統(神学的問題としての正典)
聖書論(locus de scriptura sacra)の意義
聖書台としての聖書
聖書の権威と教会
聖書と仲良くなるには

第三部 旧約聖書

アモスとホセア
アブラハムと二十世紀
旧約聖書の意義(1)
新約聖書における旧約聖書論
旧約聖書の意義(2)
旧約聖書の成就
キリスト教会と旧約聖書

第四部 学問的文脈における聖書黙想

開講礼拝説教
開講礼拝説教
マグニフィカート

第三巻(2009年) 神、創造、人間、罪

第一部 神

我々の神認識の本質
神の存在証明
旧約聖書と新約聖書の神
神を語ること
三位一体の教理
三位一体
我々は神無しでありうるか
神の隠匿性

第二部 創造

天国の五つの定義
天使
創造と贖いの関係
存在の奇跡性
逆の意味での「実存」
我々は事物をいかに評価するか

第三部 神の摂理

神の摂理
我々はキリスト者として神の御手のうちなる世界に立っている
秩序と混沌
神は世界のために一つの計画を持っておられる
1953年の惨事
神と混沌
苦悩
教導

第四部 人間

今日の共同体問題
人間の責任と神の教導
良心について 成人の宗教教育との関連で
神と人間の出会い
権威
オランダの精神生活に映し出された人間
なぜ私は個人主義者でないか
プロテスタント的人間観
福音における非人間的要素
個人化の一形態としての成熟
心と事物
そのとき人間に何が起こるのか 教会の永続的要素
神と歴史
聖書とキリスト教の光のなかでの歴史における人間
変えられること
歴史の意味としての人間
わたしは元々何なのか
人間は創造者の王冠か

第五部 罪

新約聖書の身体論と精神論
聖定における罪
罪の陽気さ
罪人としての人間

第六部 地上の生

信仰と現実
我々の人生の意味
世界に対するキリスト教信仰の誠実さ
地上の生の評価
我々は何のために生きているのか
聖書の視点から見た喜び
キリスト教的生活感情としての喜び
意味を見出し意味を得る
存在の秘儀:無意味か罪か
人生の意味を問うことに意味があるか *
垂直的なるものと水平的なるもの

第七部 時事問題

今日におけるキリスト教信仰の意味
王冠をかぶった馬鹿野郎
母性
豊かであることと増やすこと
結婚
家族
教会と動物愛護
『聖書と動物愛護』付録
プロテスタンティズムと動物愛護
心臓移植をめぐる道義的・宗教的問題
(新しきアダム)
(初めての月面着陸)

第四巻 キリスト、聖霊、救済

第五巻 神の国、宣教、教会

第六巻 政治、国家、セオクラシー、教会職制、エキュメニズム

第七巻 対話集(カトリックとプロテスタント、神学者と哲学者)

第八巻 説教と黙想

第九巻 総索引および文庫目録