ファン・ルーラー:クバートゆかりの自立した屈強な思想家(2007年)

ヘンク・フレーカンプ/関口康訳

本日ユトレヒトのヤン教会で、プロテスタント神学者A. A. ファン・ルーラー(1908―1970)の『著作集』(Verzameld Werk)第一巻の出版感謝祝賀会が行われた。1963年から1970年までファン・ルーラーのもとで学んだヘンク・フレーカンプ博士は本書を読んで次のように語る。「ファン・ルーラーにとっては神学は遊びだった。神学は人生の聖なる遊びである」。

1933年11月26日、アーノルト・アルベルト・ファン・ルーラーはクバート教会の牧師になった。「〔ファン・ルーラーの説教に〕だれもがドルプス教会〔オランダ改革派教会の伝統的で大きな教会〕の若鶏たち〔新米牧師〕よりもはるかに上を行く出来事性を感じた」とヤーコプ・ノールドマンスが述べている。説教壇のうえでファン・ルーラーは、いつも曲芸師のように巧みに語った。ときおり彼の説教は、教会の現実と比べて高すぎた。

ユトレヒトの神学生になった私は、曲芸師ファン・ルーラーが(30才代後半で)教義学の教授に就任したのを見た。私は、ドム広場にある講義室と、王宮通りの彼の自宅の近くの神学部研究室で、彼の講義を受けた。私はファン・ルーラーの芸術的才能を享受した。今も私は彼を近くに感じる。体格は小柄、胴と手足はまっすぐ、光り輝く瞳から放たれる鋭い視線、精妙な声で語られるきわめて明瞭な語り口、笑みを絶やさず行われる講義。我々の熱心な耳と目を前にして、ファン・ルーラーは聖なる神学を楽しんでいた。彼にとって神学は遊びだった。生の聖なる遊びだった。


ファン・ルーラーと私の絆は常に特別だった。1971年1月に彼のもとで教義学の博士号取得審査試験を受けることになっていた。私が書いた論文はフローニンゲン大学でファン・ルーラーの教師であったTh. L. ハイチェマ教授の神学を取り上げたものだった。少年時代のファン・ルーラーが、アペルドールン教会でハイチェマから教理問答教育を受けた。この出会いがファン・ルーラーを神学の軌道に乗せることになった。1970年12月15日の夕方、「ファン・ルーラーが突然亡くなった」という電話がかかってきたとき全く非現実的なことに思えた。1971年1月、ファン・ルーラーの影響下にあった哲学教授A. E. ロエン博士のもとで試験を受けた。数ヵ月後、私はオースターヴォルデ教会の牧師になった。その時期の一連の出来事を、すべての感情と共に、非常に生々しく覚えている。

今ここに、彼の『著作集』の第一巻がある。ディルク・ファン・ケウレン博士によって見事に編集されている。これまで散らばっていたファン・ルーラーの諸著作が、この編集作業によって、実は広大な未開拓の耕地だったことが明らかにされた。ファン・ケウレン自身の手で書かれたファン・ルーラーについての見事な伝記が、序曲として巻頭を飾っている。我々は全六巻の『神学論文集』(Theologisch Werk)を持っていた。しかし、従来のシリーズは、『著作集』出版計画室長のヘイスベルト・ファン・デン・ブリンク教授によると、ホームページのようなもの以上に「あらゆる雑多なデータ界の背後に隠れてしまった」。隠れてしまっていたその世界が、今や、我々に開示された。

第一巻の主題は「神学の本質」である。約五百ページにわたり、「神学とは何か」が問われている。この問いに答えるためにファン・ケウレンは、1927年のフローニンゲンの学生時代から1970年12月の突然死までのファン・ルーラーの著作を時系列で区分して並べた。「大学と学問」、「学問としての神学」、「神学の研究」、「1930年から1970年までの神学」という四つの主題のもとに、彼の人生の中で考え抜かれた神学とは何かという問いの答えが集められている。

誰のため?

新しい『著作集』は誰のために出版されるものか。ファン・デン・ブリンクは「新しい世代の信仰者のため」と考える。その点に多くの期待がかかっている。ファン・ルーラーはガラスのような透明さをもった明晰な文章を書いた。語り方にかんして言えば、敷居が低いといえる。しかしそれは、彼の多くの論文が「塔の若鶏」〔神学生〕のために書かれたものだという意味ではない。特に神学者を釣り上げるための餌であると我々は考えるべきだろう。しかし同時に、神学は教会と国家に仕えるものでなければならない。

ファン・ルーラーにとって、神学は「すでにキリスト教化された国家、もしくはいまだにキリスト教化されていない国家の一機能」である。何を彼は言いたいのだろうか。神学を教会の内側に閉じ込めようとしてはならない、ということである。ファン・ルーラーにとって神学は、カール・バルトが書いた意味での「教会の」教義学ではない。むしろ神学は「地上に立って考えつつ神と共に歩むこと」、すなわちそれは(もちろんそうですとも)神と一緒に考えることであり、神と協議することである。さらに、地上における神の国の到来という観点が加わる。ファン・ルーラーは、神学と哲学を厳密には区別しなかった。徹底的に考えれば、善を行うべきであることに必ず思い至る。とにかく考え抜かなければならない。そのことをファン・ルーラーがそう呼んだように「神の会議」(de raad van God)の中で行う。それはまさに、神と協議することである。この点で我々はファン・ルーラーを「自立した屈強な思想家」と呼ぶことができる。

ファン・ルーラーには、面白くて笑える面と、反対の面があったことが知られている。彼は自分を「生まれつき憂鬱な人間」と呼んだ。「父方から言えば、私はフェリューウェ出の田舎者であり、母はアフテルフークの出身者である。それが意味することは改革派正統主義の重圧を世襲的に継承したということである」。この点があるからファン・ルーラーの神学において、よりによって喜びの要素が中心的な役割を果たすようになったのだろうか。人間の心は生まれつき喜びのほうに向いているわけではない。人間は、外国から来た神、すなわちイスラエルの神から生まれた家に属する者へ改宗しなければならない。私は以下の問いかけにもファン・ルーラー神学の中心と真髄を見いだす。それは「我々異邦人は、我々にとって異邦の地であるイスラエルの神を、はたしてこれまできちんと学んできたであろうか」という問いかけである。ファン・ルーラー自身の言葉を借りておく。「占領時代の話だが、もし我々が道で偶然ユダヤ人に出会い、その時点で我々が自分たちのゲルマン的純血意識を反省していれば、我々はもっと多く神に出会えた」。ファン・ルーラーが牧師になったのはヒトラーが権力をもって出現した時代である。1951年版の『オランダ改革派教会規程』に記された「イスラエルとの対話〔を行うべきであるという規定〕」の揺籃期にファン・ルーラーが関わっていたことは、偶然ではない。

ファン・ルーラーの思考力は詳細な索引カードという形を得た。87 個のカード用の引き出しの中に、彼が読んだ本からまとめた膨大な引用集を蓄えていた。講義中に学生が質問すると、索引カードボックスを開いて調べ上げ、一週間後に回答した。しかし、ファン・ルーラーの神学は、カードケースから出てきたものではない。書斎に閉じこもりっきりの学者という面もあった。たとえば、ファン・ルーラーは旅行を全くしなかった。もっとも彼は、夏になると妻と一緒に、牧師館に住んでいるかつての教え子を訪ねるサイクリングに出かけた。もしそれを「旅行」と呼びたいならば、話は別である。

この有名なカードケースの上に『著作集』の脚注は依拠している。私は今、第一巻を手に持っているが、感謝の笑顔をもって思い起こすことがある。それは、実を言うと、予定よりも早く古い紙類が廃棄される恐れがあったとき、この索引カードボックスが、ひと冬の間、私の研究室に宿泊していたことである。その箱は、もはや住んでいない元の持ち主の家の中に立っていた。私はそれを自分の自動車に乗せて、私の家まで運んだ。今、それが『著作集』の資料として役立っている。状況は変わるかもしれない。

時代遅れ?

なぜ、まさに今、「ポストモダンの組織神学無関心時代」(ファン・デン・ブリンク)の只中にあって、ファン・ルーラーの著作集を出版するのだろうか。私はファン・ルーラー自身の「ひとつの見解は時代遅れになりうるか」という言葉を考える。『著作集』に収録されている1956年のエッセイである。『週刊エルセフィア』に掲載された。「時代遅れだ」というレッテルを張ることは、たいていの場合、いくつもの厄介な問題点から逃げ出すことに関係していると、ファン・ルーラーは主張した。我々は広さの点では、今生きているすべての人間と一緒に真理を認識することができる。しかし、長さの点では、すべての先祖たちと一緒に真理を認識することができる。「だれも関心を持ってくれなかろうが、真理に生きるべき人が虚偽の中にいようが、そういうことにお構いなしに」我々の時間に高さがあることを喜べる人は注目すべき熱心さをもっている。ファン・ルーラーは、「時代遅れだ」という理由で厄介な問題点が置かれているテーブルを片づけるのは「バカのすること」だとも呼んでいる。

『著作集』を出版することによって我々が厄介な問題を後回しにしてもよいと考えることは、全くの見当違いである。たとえば、ファン・ルーラー自身は、彼が熱烈に擁護したセオクラシーについて次のように言ったことがある。「我々の時代にセオクラシーの思想を持ち出そうものなら、ただもう笑われるだけである。しかし、私が確信していることは、21世紀の人々は、このジョーク全体の“オチ”はこれだということに気付くだろうということである」。今この瞬間も、わが国の教会と国家の関係を報じる報道記事を見るかぎり、ファン・ルーラー自身が想像しえたよりも早く、彼の神学の正しさが立証されているように思う。

(Friesch Dagblad 2007年9月26日付け)