陰府に下り(『われ信ず』1968年)

 A. A. ファン・ルーラー/関口康訳

「陰府に下り」の条項が東方教会または西方教会に属するいくつかの教会が採用していた信条の中に加えられたのは四世紀に入ったばかりの頃である。そして、この条項が使徒信条に受け入れられたのはもっと後の時代である。しかしこの思想はそれよりはるか以前からキリスト教に息づいていた。この思想はキリスト教史の最初期から語られたり考えられたりしてきたものだと言えるかもしれない。しかし、奇妙なことがある。それは、この条項には聖書的な根拠がほとんど見つからないし、あってもひとつくらいしかないことである。

それゆえ我々は、初代のキリスト者たちがはたして本当にそのようなことを考えていたのかどうかについて、確信をもって語ることができない。また、当時の人々が「イエスは地獄もしくは死者の世界へと降りた」と言ったとき、それは元々どのような意味で言ったことかについても確信をもって語ることができない。そのため長い歴史の中で実に様々な異なる理解が生まれてきた。

あえて言うが、この教えはキリスト教信仰においては、異様で奇妙な要素である。しかし、短い時間でもこの条項の意味を勉強すれば、この条項がだんだん好きになる。このイメージ豊かな表現の中に価値ある思想が集約されている。一言でいえば、「陰府に下り」についての条項は、キリストとこの方の救いのみわざが持つ絶対性と普遍性を言い表している。

この根本的な思想は、この条項のキリスト教的な解釈史の中に繰り返し登場した。多くの人が思いついた解釈は、イエスは死後葬られた墓の中から出て行かれ、旧い契約の下で信仰をもって死んだ先祖たちが住んでいる死者の世界に行かれたという解釈である。キリストがそのようになさった目的は「今や贖いのみわざは成就した」という知らせを先祖に伝えるためであり、贖いの成就ゆえに先祖たちを死者の世界から天国へと移し入れるためである。この思想が示しているのは、キリストの贖いのみわざには絶対性と普遍性があるということである。キリストの贖いのみわざは歴史の中で繰り返されるものであり、彼らを救いに導く意義と力において旧約時代の信仰者たちにも有効であるということである。

もうひとつの解釈は、さらに一歩先に進んでいる。それは、死者の世界にいる貞節を守って死んだ異教徒たちにキリストが語りかけられるためであるという解釈である。この解釈を採る人々は、キリストが来られる前にイスラエルに属さない者として神の言葉も福音も一度も聞かずに生きたすべての人々の身に永遠の次元において起こらなければならない出来事は何なのかという厳粛な問いの前に進み出る。キリストが来られる前にイスラエルに属さなかった人々は特別啓示の光の外側にいた人々である。しかし、イエスの陰府下りによってその光がその人々にも及んだ。だからこそキリストの救いは普遍的である。最終的にすべての人に救いの御手が伸ばされる。だからこそキリストの救いは絶対的である。すべての人にキリストの救いは必要であり、キリストとこの方のみわざの外側に留まったままで祝福された状態に無い人々にも必要である。

何人かの人は、さらに一歩先に進んでいる。その人々は、キリストは憐れみ深い方であると語る。憐れみ深いキリストは「救い」なる出来事が何らかの仕方で起こることを知りながら「救い」を拒絶した人々のもとにも行かれたと語る。この解釈の場合には、陰府下りの条項の持つ意味は、すべての人はたとえ地上でどんな生き方をしようとも死んだ後になってからでも救われる機会を得ることができるということになる。これは多くの人々にとって、とくに魅力的な思想である。しかし、我々がよく考えなければならないことは、この思想は地上的で時間的な我々の生から最後の真面目さを奪い去るものではないかということである。永遠的な価値をもつ祝福でさえ、地上の生以上の価値を持っているわけではない。

言葉の使い方を変えて来る人々もいる。彼らが真剣に考えることは、キリストに結ばれて生きたがキリストの再臨の前に死んだ人々の運命はどのようなものかということである。この人々がキリストの陰府下りを告白するときの意味は、キリストは死んだ状態にある人々のところにも来てくださったし、死んだ状態から救い出された人々のところにも来てくださったというものである。

「キリストが死者の世界の中へと降りて行かれたので、他のだれもそこに行く必要がない」という思想があるが、これもまた同じことが別の言葉で言い換えられて繰り返されている。その解釈によると、キリストはいわば棄てられた。そしてキリストは我々の代わりに死者の世界に行かれた。そのようになさることによって、キリストは我々のために御国を用意してくださった。キリストの救いの力が我々の死に至るまで刺し貫かれている。我々は死に至るまで祝福の状態のうちに保たれている。救いの御手は我々の死にまで伸ばされている。だからこそ絶対的なものであり、だからこそ普遍的なものである。

この見方は、とりわけルターとカルヴァンがこの陰府下りの条項に見出した意味に近いものである。しかし、プロテスタントの中にいろいろと変形した解釈が現れてきた。

その中に、陰府下りの条項は「イエスが墓に葬られた」と言っているのとほとんど同じ意味であるとする考えがある。この考えは、イエスの陰府下りは過去にただ一度だけ起こった深刻な出来事であるという点を強調する。イエスは完全に死者の状態になられた。そのときイエスは死の極みにおられた。そのため何人かの人々は、「死者の世界」(dodenrijk)という美しい言葉を使うべきでなく、「地獄」(hel)という恐ろしい言葉を使うほうがよいと主張する。イエスは死を十分に味わわれた。この杯を最後の一滴まで飲み干された。「陰府に下り」とは、イエスのへりくだりの極まった姿であり、それによって人間存在のあり方が正される。イエスは我々と神との仲保者であるお方として陰府の中に入って行かれた。それは、罪の罰と神の怒りを最後まで担い抜いてくださるためだった。

この思想がさらに変化したものが、カルヴァンからハイデルベルク信仰問答へ受け継がれている。それは次のように説明される。「陰府に下り」という条項がキリストの受難と死に関するいくつかの条項の最後に置かれているのは、この条項がキリストの受難と死に関する真理を端的に要約しているからであり。「陰府に下り」とは、キリストが特に十字架の上で神から完全に見棄てられたあの体験を指している。キリストは地獄のような不安と恥辱の中で苦しまれた。キリストは完全に棄てられたのであり、すべての恥をお受けになった。キリストは絶望の極みの中に沈んで行かれた。キリストはあらゆる恐怖の中で、存在が神の御前から離れて堕落している状態とはどのようなものであるかを、身をもって体験してくださった。

他方、ルターとルター派の人々は、全く異なる解釈をとる。彼らの説明によると、陰府下りとはキリストのへりくだりの最終段階ではなく、むしろキリストの高挙(すなわち復活)の第一段階である。それは、いうならばキリストの高挙の出発点である。イエスが地獄の中に降りてくださったのは、悪魔とその子分たちと、すべての悪魔的な存在と堕落した天使たちと、すべての悪の諸霊たちとに、激しく恐ろしい裁きの説教を告げ知らせ、裁きを行ってくださることによって、その者たちに打ち勝ってくださるためであった。

ここにも非常に魅力的な思想がある。この解釈によると、仲保者であり救い主であられるこの方は、地獄や悪魔や死、そしてあらゆる形の破滅に勝る力を持っておられる。この方はすべての悪魔の支配勢力を転覆させることがおできになるし、実際に転覆なさった。神が創造なさったこの素晴らしく美しい世界の現実を、悪魔の支配の下から完全に解放してくださった。そのときキリストとこの方の贖いのみわざが持っている絶対性と普遍性は、万物を包括しうる広さの限界点に達している。

このように、この信仰箇条の解釈には多くの可能性がある。この問題についてもキリスト教は非常に分裂した状態にある。しかし私は、この分裂状態をあまり気に病む必要は無いと感じている。それぞれの解釈は多少なりとも似ていないだろうか。この条項に込めることができるすべての意味は、真理の諸側面を言い表しているのではないだろうか。我々はさまざまな解釈を一枚の多彩なパレットの中に統合することができないだろうか。いずれにせよ、この異様な信仰箇条と共に告白するすべての真理は、我々の心を温め、幸せにする力を持っていないだろうか。この奇妙な信仰告白の断片は、我々にとって価値ある宝物にすることができるものであると、私には見える。

【出典】

A. A. van Ruler, ik geloof.