アドベント(1947年)

A. A. ファン・ルーラー/関口康訳

「アドベント」は不思議な言葉である。「待ち望む」という意味はない。「到来する」という意味しかない。惑わされないように注意しなければならない。クリスマスを祝う暗い日に我々が夢見るのは、果てしない祈りの中で待ち望んで来た、地上の存在と時間の限界を打ち破る道である。しかし聖書は我々を強く激しく押し戻す。そして語る。神御自身が地上の存在の中にも来て、時間的現実の中に臨在し、直接関与してくださるのだということを。

これは我々自身の生のとらえ方に根源的な変化をもたらす。生のとらえ方を「地上的」にする。それは、我々が主なる神と地上の世界を、主なる神と我々の地上の生を関係づけるとき、我々人間と天国を、人間と永遠を関係づけてはならないことを意味する。それは、我々人間の存在が今ここで善きものであるゆえに、我々は今ここで指先まで、我々の魂の奥底まで幸福であるということに神と世界の関係や、神と人間の関係の問題を結びつけるべきであるということでもある。これは「神御自身が人間の肉体をまとって地上に臨在してくださった」という、神の御子イエス・キリストの受肉の秘儀の教理があって初めて成立する。

それは個人に当てはまる。我々は人生の喜び、自己の深層心理や衝動レベルの喜びを学ぶ前に自我の存在の格闘を放棄すべきではない。それは共同体にも当てはまる。法律、労働、結婚、文化、娯楽など。これらの中で与えられる人間の交わりの中心と源泉は、「神が肉をまとって来られたこと」によって十分にもたらされた、神と人間の交わりである。

「アドベント」という言葉は、夢見心地でも神秘的でもない金属音である。この金属音の中で、地上の現実の中で実現されるべき完全な救いが重く明言されている。それは、人生の心構えを獲得し、その中で栄光の輝きを見いだせる共同体のあり方を獲得する不断の格闘の中で歩み続けるために必要な力を呼び起こす金属音でもある。そしてそれは聖書が今日この世界に対して示す「聖なる民の生活についての預言者的ヴィジョン」でもある。そのヴィジョンの中で神賛美があるのである。

神賛美は、生きること、働くこと以上に骨を折る甲斐がある。神賛美があるからこそ、我々は多くの失敗や欠点にもかかわらず働き続けることができるのだ。

【出典】
A. A. van Ruler, Sta op tot de vreugde, 1947.